私の中のわたし
もう1人のわたしの続きです。
出来事は、私が寝ようとしたその時にありました。
目の前に小さい女の子が現れたのです。
その子はうずくまり泣いていました。
私 「どうしたの?何がそんなに悲しいの?」
女の子 「わたしは寂しいの。わたしは1人なの」
私 「おいで、1人じゃないよ。私が居るよ。
おいで。私は貴女が愛おしい。私の中においで」
そう、女の子は私の寂しい部分だ。
小さい女の子として私の心に取り残されていたのだ。
私は知らず知らずの内に、寂しがっている部分を避けていたのだ。
まだ私の中に居たのに、寂しい部分を「悪」として、
見て見ぬ振りをして・・・解決したつもりでいたのだ。
寂しい部分は悪くはないんだよ。
寂しい部分があったからこそ、今の私が出来たんだよね。
人は寂しい部分。怒りの部分。おちゃらけた部分。
本当に様々な部分を持っている。その1つ1つを分離させたらダメなんだ。
自分の中の嫌だと思っている部分も受け入れる。
それが大事なのだ。
自分の中で分離して考え、それを避けていると
自分の中でバランスが崩れるのだ。
表面では気付かないかも知れないけれど、本当の自分は訴え続けるのだ。
「わたしはここに居るよ!!気付いて!!」と。
私の中の寂しがっていたわたし。
この「わたし」もずっと、長いこと主張して来たのだ。
これに関しては・・・いずれ書けたらと思う。
あぁ~。自分の外だけじゃなく、自分の中も1つだったのだ。
本当に・・・全てが1つ。
ごめんね。ひとりぼっちにしちゃったね。ごめんね。
寂しかったよね?ずっとココにいたの?
私は「寂しがりのわたし」を受け入れるよ。
怖くない!
今まで一人ぼっちで寂しいと感じることを一手に引き受けてくれていたんだよね。
一生懸命頑張って私を支えてくれていたんだよね。
やっと私も受け入れる体制が整ったよ。
今まで本当にありがとう。
一緒になろうね。
小さなわたしを抱きしめたその時、私の中で何かが湧き上がってきた。
それは・・・幸福感。
続く。
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